本年もよろしくお願い申し上げまする🎍
さて……
先月の岩槻での講演会や研究本を拝読し、小田原城総構は、どうやら、やっぱり、たぶん、現時点では、「総構」ではなく「大構」と称した方が妥当のような気がしました。
そも、「総構」「惣構」は江戸時代以降の史料に書かれている呼称です。ちなみに「大外郭」は近年に造られた言葉ですよね。
昨年4月の小田原城総構の出丸についてのブログ記事にも少し書きましたが(文末添付)「総構」と呼ばれたのは、家康のたった1通の書状の中での『惣構』だけだそうです。家康もその1通だけでしか惣構とは使っていないようで、実際に当時は何と呼んでいたかは今のところ分からないとのこと。
当時、岩付や韮山などで「大構」と呼ばれていたので(岩付は外郭線を大構と指しているが韮山はどこを指して大構と呼んでいたかは不明)、小田原ももしかしたら「大構」と呼んでいたのではないかと。
もっと詳しく書きたいのですが、講演会や著作の内容には著作権があり勝手にブログやSNSにあげてはならぬそうなので(←こればっかり💦)、ご興味あらば、佐々木健策著『戦国期小田原城の正体』吉川弘文館 2024.1.1 「総構とは何か」P113~ をご覧くだされませ。
とはいえ、
わらわひとりで小田原城総構を、大構、大構 と頑なに呼ぶのも、「あの人なに言ってるんじゃろか?」と思われるだけなので勇気が出ない今日この頃。
🍷 大構(総構😝)出丸のこと
「小田原城総構にあった「出丸」」2024.4.1
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「その後の情報「小田原城総構の出丸」」4.3
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「小田原総構「出丸」跡を見てきた」4.13
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「「出丸」跡の現代の地図の訂正」4.14
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マリコ・ポーロ
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