マリコ・ポーロ
その前に、朗報です
今、鎌倉国宝館にて「国宝 鶴岡八幡宮 古神宝」展が開かれていますね(↑ パンフ)。我らが北条氏綱が八幡宮に奉納した相州綱広の太刀(重文)が出ることはないか伺ったところ…
出るそうです
10月20日からの「開館90周年記念」に!
わーい\(^o^)/ 楽しみですね。3口とも出るのかしら?
さて本題でござる。
鎌倉武家文化普及啓発事業として、玉縄城址まちづくり会議主催の歴史セミナー「戦国時代の鎌倉、その検証と発見」の三回目を拝聴しました。今回のテーマは、「まだナゾだらけ戦国時代の鎌倉」。
ほんとうにナゾだらけですよね~。
レジュメの表紙にも、玉縄城址まちづくり会議会長がこのようにお書きになっています。
「私たちは意外に鎌倉の歴史が分かっていない。それも頼朝三代以降の鎌倉から鎌倉の歴史が分からなくなるのではありませんか。なぜか?その一つは戦国時代の鎌倉の主人公だった後北条氏のことが伝えられてなかったからです。」
まさに~
鎌倉で神社仏閣の御由緒書や御縁起を読んでも、源氏三代 → 前の北条さん → 足利さんときて → 一気に徳川さんのこととなり、後の北条(小田原北条)に触れられていることはほとんど、いや、まず無いですものねえ。(それを言ったら鎌倉公方のこともあまり書かれていないか。)
肝心の鶴岡八幡宮の「御由緒」や「歴史」には、頼朝殿がお祀りしたことから → 一気に、江戸幕府が現在の社殿を造営したと書いていて、後北条の氏綱が再建したことなぞ、ひとっことも触れられていません。
どれだけハショルんや~。源氏以外は関係ないのか~っ。
と、知った風な口で嘆いておる私も、つい9年前に小田原北条に興味を持つまではまったく存じませんでした。鎌倉市にあんな大きな城跡があることも、それが小田原北条の城だということも、綱成という人も知らんかった~。
では、セミナーでの記憶しているところだけ、以下に。
▲最初は古武道の演武
上泉伊勢守が、小田原北条の剣術指南だと紹介されていました。知りませんでした。ほんとですか?
上泉信綱は海道龍一朗氏の御本で読みました。小説の主人公としてとてもチャーミング武人で、いっときカブレましたが、史実ではよく分かっていない人なのだと思っていました。
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▲まずは、我らが館長、諏訪間順氏
テーマ「小田原北条氏と小田原城」
分かりやすかったです。後の北条をよくご存知ない鎌倉の方達にも良かったのではと思いました。
冒頭、「皆さんは小田原北条をどう認識してらっしゃいますか?ちょっと、おバカっちょ?」
新陰流の演武で張りつめていた空気が和らぎました。これで、つかみはOKだべ。諏訪間さん、おバカっちょって…小田原弁で?
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▲二番手は伊東潤氏
テーマ「伊勢宗瑞と小田原北条」
伊東さんの考える宗瑞の長所短所などの分析。ご自身の著作の分析など。
レジュメには、
~(北条が最後を迎えた時) 天の宗瑞は、きっと、「これでいいのだ」と言っていた気がする。~
と。小説家さんですねえ。
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▲シンポジウム
お馴染みの諸先生方、伊藤一美氏(歴史学者)、玉林美男氏(鎌倉市考古)、大竹正芳氏(城郭史学者)が参戦!
また、会場には宇都洋平(藤沢市郷土歴史課考古学者)氏や赤星直忠氏もいらっしゃっていました。
(大竹氏)
ここでやっと玉縄城の話が出ました。主郭の周辺の話で、○○さんちの脇とか○○店の前とかとかに残る遺構や文献からの、地元通の話が細かく面白いです。
当ブログを読んでくださっている皆様はとうにご承知かと思いますが、宗瑞・氏時時代の防御拠点の中心だった二伝寺周辺の話に興味が湧きました。公園に残っている窪みが旧道だそうですね。
玉縄城というのは、典型的な戦国時代の山城であり、宗瑞・氏時時代、綱成時代、氏繁・氏勝時代、それぞれ違う姿をしていたと思われるとのこと。敵が当初と後半では変わっていますものね。
よく女学校が出来てしまい残念という声がありますが、女学校が出来て良かったのではないでしょうか。だって、学校がなければガンガン宅地開発されて、今頃は全ての遺構は個人のおうちの下に…ではなかったのかなあ。
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(玉林氏)
戦国時代の鎌倉の話がやっと出ました。
鎌倉の主の長期鎌倉不在により、鎌倉府に集まっていた年貢や貢納物が、それぞれの武士の拠点(城)への集積へと変化していったというお話が面白かったです。そうか、そういう風に分析していくのかと勉強になりました。
それから、玉林氏は御用米曲輪を初めて見た時、 「あ、これは中国の庭園だ」と思われたそうです。敷石遺構は、 「グスクに似ている」と。
へえ~~
玄宗皇帝が楊貴妃のために造営した離宮の華清池みたいな感じですかね?そう言われると、すぐ、そうだ!と思ってしまうマリコ・ポーロ。
いや、つまり玉林氏がおっしゃるには、小田原北条はそれだけ海外と交流があり、また京都の出であることからも、先進的なものをどんどん取り入れていた…ということ。
オッホッホッ
↓
中でも、玉林氏が触れた 荏柄要害についての話にビッ!としました。もっと聞きたいと思っていたら、伊東潤さんが質問してくださり、大竹氏が説明してくださいました。
これはとても興味深いお話です。荏柄の要害を発見したのは玉林氏ですが調査したのは大竹氏だそうですね。荏柄天の裏山には、台形状の削平地や堀などが残っているそうな(立入不可)。
荏柄天あたりはよくウロチョロしますが、知りませんでした。ミーハーだから、聞くとすぐまた行ってみたくなる マリコ・ポーロ。
↓
(伊東一美氏)
本日ホストでらしたので発表はありませんでしたが、レジュメに鶴岡八幡宮再建について面白い話がたくさん書かれていました。
他にも以前八王子城の歴史師匠からいただいた資料もありますので、追々ブログで紹介させていただきたいと思います。
っていうか、「戦国時代の鎌倉」がテーマだから、こういう話をもっと聞きたかったです。八幡宮や、鎌倉公方や、里見との海戦や青岳尼の話も出るかと思っていましたが、時間が足りないか。
また、今日の玉縄の講演&シンポジウムで、小田原北条の城の、両側に側溝がある道路遺構の話が出ました。私なぞは「スゴイ!」と感激しちゃいますが、鎌倉時代のそれこそ凄い遺構が家々の下に嫌になるほどあると知っている鎌倉人の聴衆の方々がどう思ったかと考えると…ちょっとゴニョってね。
レジュメには各講師の方々の他にも、鎌倉の阿部能久氏や、会場にいらしていた宇都洋平氏が寄稿。玉林氏の玉縄北条の新年表と大竹氏作図の「玉縄城の総構図」などもあり、読みでがありました。帰りの電車で熟読してしまった。
とても楽しかったです。ありがとうございました。 第6回 玉縄城主墓前祭
日時:2018年10月20日(土) 9時半~
場所:龍寳寺本堂 10月も毎年恒例のイベント行事が目白押しですが、ちょっと面白そうなものを3つ鱗。
▲ 「古民家で学ぶ下堀と北條幻庵」
日にち:10月3日(水)
場 所:小田原(鴨宮の古民家飯田家)
幻庵ゆかりの一節切の演奏と、下堀城ともいわれた幻庵の領地下堀についてのお話しを聞く催しです。
申し込み:キャンパスおだわら →https://www.campusodawara.jp/kouza/
▲ 講演 「武蔵大石氏と滝山城~関東の戦乱と大石氏の戦国領主化」
主 催:NPO法人滝山城跡群・自然と歴史を守る会
日にち:10月8日(月・祝)
場 所:八王子市加住市民センター(滝山城そば)
講 師:加藤哲氏
申し込み不要(先着順)→http://takiyamajo.com/html/events.php
▲ 「川越城の上で川越城の話をしよう!」
日にち: 10月28日(日)
場 所:川越市博物館
講 師:浅野晴樹先生です!
申し込み不要、先着順。
主催は河越館の会→http://kawagoeyakata.blogspot.com/2018/09/blog-post_39.html
萩真尼 こと マリコ・ポーロ以前の玉縄関係のブログ記事の一部です。
「玉縄城の歴代城主の法要が営まれました」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-0e25.html
「玉縄城-1 現代の難攻不落の城へ」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-170d.html
「玉縄城-2 現代の難攻不落の城」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-77e4.html
「玉縄城-3 現代の難攻不落の城」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-0e19.html
「北条早雲が開基した大船(鎌倉)のお寺」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/post-64df.html
「北条早雲が焼いた鎌倉の寺々」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-6e83.html
「「真剣」 新陰流を創った男 by 海道龍一朗」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/by-d541.html
「前編~玉縄の北条為昌&氏綱ご正室・養珠院の謎」
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「後編~」
http://
画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。