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~3ヶ月に渡るスーパー連続講演会がまとめられた冊子(クリアファイルはこの日参加した人達だけ)~
小田原城天守閣企画展「小田原北条氏の絆」にからめて昨年の11月から連続して催されてきた講演会は、最終回の今月がクライマックスとなりました。
最終回はカトケン(加藤憲一)市長さんのご挨拶で幕を開けました。
続いて、天守閣館長である「小田原愛に溢れた、まさに現代の小田原城主ともいえる」(←司会の方の弁。会場内にウケた
) 諏訪間さん。
来年は小田原城開城500年(←諸説あり) & 北条早雲こと伊勢宗瑞没後500年 を迎えるそうで、諏訪間さんがおっしゃるには、北条氏綱を顕彰することで様々な企画を進めてゆきたいとのこと。
北条ファンにとってご贔屓の一族衆・一門衆はそれぞれあれど、北条氏綱を一番リスペクトするのは誰も同じだと思います。北条の治世を盤石とした氏綱公がクローズアップされるのは、とても嬉しいことです。
ちなみに講演は…
(11月)
齋藤 慎一氏 「北条氏照と八王子城」
佐々木健策氏 「北条氏政と小田原城」
(12月)
浅野晴樹氏 「北条氏邦と鉢形城」
池谷初恵氏 「北条氏規と韮山城」
(今月1月)
小和田哲男氏 「小田原北条氏の領国支配とその絆」
小野 正敏氏 「戦国大名と京都ー小田原北条氏の権威の演出」
竹井 英文氏 「城郭関係史から小田原北条氏を考える」
諏訪間順氏 「小田原北条氏のイメージと小田原城」
最後は、講演をされた全ての演者の方たち8人によるシンポジウムで幕を閉じました。
今回のブログ記事は(も)、長いです。前半が講演のこと。シンポジウムのことは後半です。
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~小野先生の講演~
先生方の講演はどなたも面白かったのですが、特に楽しみにしていたのが小野正敏先生の講演でした。
小野先生の講演を拝聴するのは、4-5年前の、葛西での「戦国時代の城館」と、川越での「中世東国史の軌跡と未来」の2回だけです。北条に特化しての小野先生のお話しは珍しく、北条オタクの私にとっては新鮮かつ客観的なお話しが伺えそうでワクワク
。
案の定!とーーっても興味深い内容でした。我が八王子城の例もたくさん出ましたよ~。
以下、ビビッときたところを、ザックリで先生には恐縮ですが要約して書かせていただきました(言い回しやお使いになった語彙などは正確ではありません)。先生のお話しは、私なぞではとても書ききれないゆえ、きちんと知りたい方はトップの写真の素敵な冊子を是非お求めくだされ。
先生は、「今東国において北条氏を研究することは大変意味がある。」とおっしゃいます。
まずは、ドップリ北条研究ではない小野先生がそれゆえに客観的にクールに(?)まとめられた、北条が東国に根を張るために行った3つの作戦について。
① 氏綱による家格ランクアップ作戦
北条への改姓、近衛家から迎える後妻。また、左京太夫や御相伴衆などの官位取得は戦国時代には何の実態もないものだが、今川・武田のように御職を持たない北条にとっては必要なものだった。
② 東国の武家棟梁としてのイメージ継承作戦
特に鎌倉幕府が庇護した有力寺社仏閣の修造や保護。
(前回のブログ記事で書いた六所神社もそうでしたね!)
③ 関東公方乗っ取り作戦
娘の芳春院を嫁がせ、生まれた男子(義氏)を無理やり(←by マリコ・ポーロ)次の公方にし、そこへ氏康の娘を嫁がせ、北条を関東管領に補任させたりした。
(おお!こちらも当ブログでは「北条五代の娘たち」や葛西城のあたりの「後北条一族の陰謀」などで、しつこく、こってり追いかけておりまするぞ。)
次に、小田原城と八王子城の発掘された権威空間について
▲ 近年次々と北条氏の建物群や庭園が発掘されているが、こうした遺構群がひとつの城だけではなく、いくつもの城で、まとまったかたちで発掘されるのは例がなく、その上、同じ北条氏の城の中で比較できるという点では重要な成果である。
▲ 小田原城の御用米曲輪は、まだ一部しか発掘されていないが(主殿あたりがまだ)、八王子城からは、主殿・会所・池庭・広庭など全てが出てきたといえる。
▲ 御用米曲輪の切石敷きだけを初めて見た時は、その異質さになんだか分からなかったが、全体像を把握した時に、そういうことかと分かった。これは、権威を示す空間として他にも例が見られる空間。
▲ 小田原城の建物と庭園は、広い砂利敷の中に規模の大きな池庭があり、主要な建物と庭を大きく離した広がりのある空間は、将軍家や細川邸などと同じく一昔前の庭の造りであり、つまり、権威を演出するもの。
▲ 八王子城は、エリアの広さ(狭さ)も関係もするが、池と建物がセットになったコンパクトな機能の造り。つまり、戦国時代的な空間。
ただし…
この時代の最先端でモダンなプランの造りや配置なのに、池の護岸の縁取る石の並びは非常に「稚拙」で、「こりゃ、どういう意味だろう???」と。
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~コレ↑。 パワホの映像をアップにしました。分かり難い写真で申し訳ないです。八王子城ガイドの会のHPには、もっとハッキリ写っています。~
大内館などの池の写真を示され、普通は池の縁取りは、大小様々な石で景色を作っていくそう。大名庭園と館の専門家である小野先生の考察に、あらためて八王子城の写真を見てみると、まさに、ホンマやという感じ。あの時は、池が出てきたことだけに興奮してしまっていたものねえ。
池の護岸は北条時代は未完で、その後、水が流れてきてしょうがないので大久保さんの人足が取り急ぎ組んだのかもしれない(by マリコ・ポーロ妄想)。
先生はこの話をする時、「八王子の人、来ていないですよね~!」と冗談めかして何度も確認されるのが可笑しかったです。
いますよ~、先生。たっぷり来てますよ~。
小野先生は、現代のことでも、関東を「東国」とおっしゃるのが面白いです。また、お話しを聞いていると、あらためて、つくづく、北条って特殊なんだな~とも思います。
威信財とカワラケ、北条の首都作りのこと
と、このへんで、ワテの筆力の限界。まだシンポジウムのこともあり長くなるので、繰り返しになりますが、あとは冒頭の冊子をお求めくだされ。とても詳しく書いてくださっています。
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~シンポジウムは、血湧き肉躍る超ゴージャスメンバー。さすが本城。~
シンポジウムはとっても濃い内容でした。壇上だけではなく会場内にいらしている各城(北条支城以外でも)の研究者方も調査の現況について次々とコメントが求められていました。
企画展と連続講演会のテーマのとおり、北条五代が深めた支城間の「絆」は現代も繋がっている、そんな気がしました。
講演と同じく、気になったところだけ(覚えているところだけ
)以下。
▲ 宗瑞の小田原奪取の年が、明応9年に落ち着いた(という新説)について
小和田先生、
「ちょうどこの話がでたので…これは皆さんに申し上げたいのですが…、ひとつの新説が皆で検証され認められるには最低でも10年 はかかる。そういう意味からも「9年」も顕彰が必要。新説が出たからといって、すぐに皆でそうしてしまわないことが大事」
だとおっしゃいました。
佐々木さんは、
考えたことをすぐに発信するとアッチコッチから色々な批判がくる。それで研究が進むという利点もあるけれど、その考えはどんどん変更されていくから常に気を付けて見ていかなければならないと。
齋藤氏、
大森氏を追いやったというが、そもそも大森氏の拠点はどこだったのか?
↑
それは、宗瑞vs大森氏 ではなく、宗瑞vs扇谷 ということで考えるということですか?分からにゃい…
。
(小和田先生のお言葉ですが、当ブログなぞは蟻の爪にも引っ掛からない弱小ブログなので影響力はまったく無いとは思いますが、新説を読むとすぐに、「こう書いてあった!ドびっくり~!」としてしまうので、少し反省。センセーショナルな書き方はしないようにしようと思いました。)
▲ 氏邦の生年がハッキリしたこと(薬師像の銘札で裏付けられた)と、それによる氏規との出生順のチェンジについて
これは前回の講演会での浅野先生のお話しで初めて知ったことです。
「通説・定説は書き替えられるのが、歴史」 by 小和田先生。
また、考古学系の先生方が、氏邦の生年が何年だろうが実はどーでもエエみたいにおっしゃったのには、会場大笑い。確かに~。
▲ 八王子城、天正18年廃城でいいのか?
齋藤氏
「当事者なので言いにくいのですが…文献データと考古学データの付け合わせは大変難しいが、真実はひとつだと思います。」
▲ 北条の城の特徴
諏訪間さん
北条の城の特徴は、「関東ローム層で守られた城」
齋藤氏
「北条系の城だ」「武田系の城だ」は、ない。と、ここで、会場にいらした加藤理文氏も登場。
小和田先生
もちろん違うところもあるが、ある程度の共通した特徴はあるので、〇〇系とは城の縄張りをあえて分かり易く話すために言い始めたもの。
「織豊系の城郭とは、天守があって石垣があるもの。技術をともなうものだが、後々、技術を伴わない 真似っこ城が出てくる」←あれ?これはどなたがおっしゃったのでしたっけ?
▲ 小野先生
・北条は本来の研究対象ではないが、御用米曲輪を見て小田原北条がなんたるかが初めて分かった。
・全国レベルでトップクラスの城だ。
・八王子城の主殿などの建物プランが、同じ時期に出来た聚楽第とそっくり。最先端の技術を取り入れ、それがすぐ出来る。技術集団が全国を動いている?
(技術集団は契約関係だったと思うと、齋藤氏。これは、講演でのお話にもありました。)
・本城と支城群がこんなにまとまって系統だって掘れているところは他に無い。
▲ ▲ ▲
ふう~。他にもたくさん楽しい話はあったのですが、全に筆力&記憶力&脳内整理力&体力の限界。今日のお休み一日を全て費やしてしまった。ここまで読んでくださった方も、ありがとうございます。
連続講演会には3ヶ月皆勤賞(早退あり
)。途中で早川口の見学会もあったりして、数年前の御用米曲輪の連続見学会を思い出すような、北条成分をたっぷり注入できた3ヶ月でした。ありがとうございました。
まだまだありますぞ。北条系(?)の大きな講演会。
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伊豆の国市文化財講演会 「韮山城をめぐる攻防」
講師: 中井均氏、齋藤慎一氏
場所: アクシスかつらぎ大ホール(長岡)
日時: 1月20日13:00~
申込不要
問合せ先: 伊豆の国市教育委員会文化財課
オイはもうとても行けもはん。残念でごわんど~。
「お城EXPO」の北条関係講演会 と 小田原城天守閣「絆展」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2017/12/post-1e38.html
マリコ・ポーロ こと 萩真尼
画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。
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